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甲良町は日本最大の湖「琵琶湖」の東部湖東平野に位置し、滋賀県の中央部を占める犬上郡のほぼ中央にあります。鈴鹿山脈から琵琶湖に向かって開けた穀倉地域です。

東側は多賀町

北側は彦根市

西側は豊郷町

南側は愛知郡愛荘町

に隣接した東西5.32km、南北5.15km、面積13.62km2の平地農村です。

管理団体

甲良町

 

施設

駐車場

普通車 : 55台

大型車 : 20台

身障者用 : 3台

思いやり駐車区画 : 4台

大型 : 20台

トイレ男:6器

女:6器

身障者用:1器

 

 

加工所

直売所

直売コーナー

情報コーナー

軽食コーナー

多目的広場

 

町の沿革

 

甲良町の東部には鈴鹿山脈の山麓が西から東に高地や丘陵部が続き、東から西へ北境部を 27.3km に及ぶ1級河川である犬上川が流れ、 なだらかな傾斜を保ちながら平地が扇状地状に広がっています。町域の犬上川左岸扇状地は古くから「甲良の荘」として拓け、数多くの文化財を有する穀倉地帯です。

 

 

 

人口および世帯数

(平成25年12月1日現在)

 

7,596人(男性3,623人女性3,964人)

 

2,538世帯

 

面積13.62km2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町の花

ふじ

 

藤堂高虎を輩出した藤堂家が武士の神として信仰厚い京都岩清水八幡宮を奉り建てられました。子孫繁栄を祈願して境内に植えられた紫藤樹が今も現存し、毎年5月中旬に行われる「藤切祭」では、藤を藤堂家に贈るのが習わしとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

​甲良町出身の名工・ 甲良豊後守宗廣が三大将軍家光の命を受け、 日光東照宮の大造営を手がけた縁から甲良町と日光市は姉妹都市提携を結んでいました。甲良町は、甲良大工がこの世界に名高い木造建築物に用いたケヤキを、どの木より高くそびえている偉容にもあやかって昭和52年4月に町の木に選定しました。かの甲良大工が本殿を建造した法養寺甲良神社境内には、高さ26m、樹齢750年を超えるケヤキの大木があり、「湖国100選」に選ばれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町の歴史この地域は古くから開けた土地で、 多くの文化財が点在しています。 湖東三山で知られる西明寺は、承和元年(834 年)に三修上人により開基されたと伝えられています。南北朝時代初期、 近江源氏の佐々木道誉が甲良荘に勝楽寺城を築いて本拠地としました。その子孫が甲良荘尼子郷で尼子氏を称し、出雲の国へ下向して戦国大名となりました。戦国時代末期には、 甲良荘藤堂村(現在の在士)から藤堂高虎を産しています。同時期には、日光東照宮の造営を始めとする土木工事を江戸幕府から任された宮大工で、甲良氏の祖である甲良豊後守宗廣が、甲良荘法養寺村から出ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町民憲章

流れも清い犬上川、緑にはえる山と平野の美しい自然をまもり、祖先の偉業をうけついで、平和なまちをきずくため、私たち甲良町民は

 

一.清純で、清く正しく生き、住みよいまちをつくります。

 

一.人権をとうとび、たがいに助け合い、明るいまちをつくります。

 

一.教養をつみ、身をおさめ、文化のかおり高いまちをつくります。

 

一.心身をきたえ、未来にはばたく、力づよいまちをつくります。

 

一.仕事にはげみ、希望にみちた、豊かなまちをつくります。

 

 

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